久しぶりに「真面目」に日記というか、俺の思うところを書いてみようと思う。
なぜか、朝から自分の中にモヤモヤがあり、スッキリと晴れないんだよね….。
お題は「バトル」。もちろん「戦闘」とか「争い」という主旨の話ではなくHIP-HOPにおける「バトル」だ。
ピンポイントで「ダンスバトル」ではなく、なぜHIP-HOPなのか。
この「バトル」という要素は「ダンス」だけにとどまらず、HIP-HOPの4エレメント(要素)全てに共通する認識だから。
「バトル」とは「Peace&Respect」これが全てである。
当然「バトル」である以上「勝敗」という結果が付いてくる。しかし、それは、「それが全ての結果」では決してないと言うことを多くの人達が勘違いをしているように感じる。
俺が常々思っているところに、これは「ボクシング」も同じような考え方をしていると感じている。
勝って王者になるのが本当の強さではなく「どれだけ防衛するか」と言うこと。
バトルの敗者。当然、負けると悔しい。しかし「負けたから終わり」だと、それは単なる「負け」で、そこからなんの生産性もない。
なぜ、負けたのか、なぜ相手は勝ったのか。そこを検証し、問題点を見つけ、そして、再度バトルを挑む。
これこそが「成長」するための最大の要素。
勝者は「勝った」からと言って喜んでいたり、その勝利にいつまでも酔いしれているようでは、決して本当の意味の「勝利」ではない。
勝者は「明日の敗者」であり、敗者は「明日の勝者」であることを、認識しておかなければならない。
だからこそ、勝者になったら、今まで以上に努力をしなければ「明日の勝者」にはなれない。
だってさあ、周りは「あいつに勝ってやる!」と鼻息荒く、次までに、手の内を研究し、勝てるように策を練ってくる。言わば、今日の試合をポイントを「ボーダーライン」と設定してくるわけだからね。
胡座をかいた時点で、次はないわけさ。
バトルに勝ったからこそ、敗者に対しリスペクト(敬意)をはらい、共に戦えたことに感謝する。
そして敗者は、勝者に対しリスペクトし、共に戦えたことに感謝する。
いがみ合う(?)のは共に真剣に戦っている瞬間だけ、その緊張が解けた瞬間、お互いに敬意を払い笑顔で健闘をたたえ合う。
そして、明日の勝利を目指して、それぞれが切磋琢磨する。
これこそが本当の「バトル」。
勝敗というのは、その瞬間の、ほんの些細なミスや、ほんの些細な差で決まる。勝者は、当然、何か違う、グッと引き寄せる何かを持っている。
それは「テクニック」が全てではない。どれだけ凄い人間離れをした技を繰り出しても、勝てないときは勝てない。「ダンス」というのは「器械体操」ではない。一つの血の通った「芸術」なんだというのを認識した方が良い。
日本においては、まだまだ「バトル」をちゃんと理解し、そしてそれを伝えられる人間が悲しいかな少ないと思う。
どうしても目先のテクニックに走ったり、「勝敗」というくだらない愚像に振り回されて勘違いをしている人が多い。
勝者になったのであれば、そこが終着地点ではなく、そこがスタートなんだ。
陰でコソコソ言う奴や、負け惜しみばかりをほざいている奴は、一生敗者だよ。
勝者になりたければ、コソコソ言う前に、相手の健闘をたたえ、自分達のことのようによろこび、負け惜しみを言っている暇があれば、勝てるように努力すればいい。
「少年よ大志を抱け」クラーク博士が残した有名な言葉だが、正に、その通りだと思う。
「お山の大将」になるのであれば、本当の「山」を制し、そこから見た風景。
これこそが、人としてどうあるべきかが見える風景なのではないだろうか。
「井の中の蛙、大海を知らず」こういう人間が日本には多い。
自分の住んでいる、目に見える、行動している範囲が世界の全てではない。大海とは自分の心のことだと俺は思う。
全国で、そして全世界で戦っている連中って、自分達と何ら変わりのない、同じ人間。ただね、チョットだけ好奇心が旺盛で、チョットだけ貪欲で、チョットだけ行動力があるだけのこと、
自分にリミットを設けることを辞め、少しだけ、好奇心旺盛になってみたらどうだろうか?
「山」のテッペンに立てる人間はほんの一握りだけかも知れないけれど、決して「一人だけ」でもない。
ただ、そこから見る風景は、全ての人が同じではなく、人それぞれに見え方が違うはず。
バトル。それは、人に勝つための物ではなく、「自分自身の生き様」なんだよね。
自分から逃げるのではなく、自分と正面切って勝負してみようよ。
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